ゴンと高野山体験プロジェクト〜

映画紹介<アイランズ>『島民の心性から見る北方領土問題の深層』

Nov 06 - 2014

『アイランズ/島々』-“島民”を通じて見る北方領土問題の深層と解決への糸口
日本・ロシア合作ドキュメンタリ-映画より


択捉、国後、色丹、歯舞の北方4島は、いったい誰のものなのでしょうか?
政治的には日本にとって重要な課題で、現在に至るまで、日露平和条約が締結できないでいる主因となっています。歴史的な経緯や国と国との取り決めからすれば、北方4島が日本の固有の領土であることは、疑いを得ないことでしょう。しかし一方で、ロシアの側からすれば、ヤルタ協定の経緯等北方領土を自国領として実効支配する、それなりの理屈があるでしょう。私たち日本人としては、到底認めることの出来ない“理屈”なのでしょうけれども。ましてや、元来アイヌの人たちが先住民として暮らしていたこの地域に、日本人とロシア人のどちらが先に来訪し、何らかの主権行使につながる足跡を残したのかという議論になると、伝承・言い伝えまで含めて双方様々な記録を探り出し、結局はお互い譲ることの出来ない水掛け論となってしまうのが落ちでしょう。

■日露島民の深層の心情を浮き立たせるドキュメンタリ-
この映画でも冒頭部分で、北方4島の帰属の歴史と、終戦直後にソ連に占拠される経緯が紹介されます。しかしこのドキュメンタリ-映画の主眼点は、けっして国家間における北方領土の帰属の正当性を扱うものではありません。日本・ロシアの双方の監督とスタッスの協力のもと、徹底的にかつてその地に暮らし、また今その地に住む“島民”の視線から、その深層に横たわる思いと願いを、淡々と、しかし新旧島民のみごとなコントラストから描きだしていきます。そして島民の心が捉える視線から、『北方領土問題』の真の課題を浮かび上がらせていきます。そのためにこの映画では、いっさいのナレ-ションを排し、ただ当事者の島民の語りだけで、映像が綴られていきます。この地の苦悩を暗示する、北の海のうめきを示すような重厚な音楽と共に。

さてこのドキュメンタリ-は、前半の昭和編と後半の平成編から構成されています。前半は、今は北方4島を望む北海道の地で暮らす、日本人の旧島民の語りによって展開していきます。そして後半の平成編では、現在島に暮らすロシアの人々の口から、その心情が綴られていきます。

■日本人元島民の静かな語り口
前半の日本人元島民の語りでは、確かに、自分たちが理不尽に島を追われた経緯や苦難が、淡々と語られていきます。しかし印象深いのは、不思議と島を取戻し、どうしても帰りたいという切迫感よりも、遠く離れた故郷を懐かしむかのような、静かな平安が伝わってくるということです。もちろん内容としてしては、北方領土の記憶を風化させず、ロシアの支配の不当性と、返還に向けての地道な取り組みが語られているのですが。

でもいったい何故、こうした郷愁に似た心象風景が、何よりも強く伝わってくるのでしょうか? 登場する旧島民の方々は、今は北海道の地に根付き、確かな暮らしの基盤を確立していらっしゃるようです。そしてそれぞれにしっかりと、日々の生活を営まれております。もちろん島を追われてから今日に至るまで、筆舌に尽くし難いご苦労を経験されてこられたのでしょうけれども。このように穏やかな郷愁が浮かび上がってくる理由の1つには、島民だった皆さんが、北海道という新たな地で、苦難の末に第二の暮らしに根付かれたことがあるのかもしれません。そしてもう1つ理由としてあげられるのは、人の心には、大きな煩いの渦中にない限り、記憶を浄化し、美しい思い出に仕上げていく働きがあるということです。だから年月を経て、島民だった皆さんが綴る思い出は、悲惨な体験の証言よりも、むしろ素朴なロシアの兵士や人々との交流が、微笑ましく語られることが多くなっているのです。

■いのちの根付く“故郷”としての島々
それでは、元島民の方々の心の中に描かれる、北方領土の現在の心象というものは、いったいどういうものなのでしょうか。すでに北海道に根付いて、そこから懐かしく思い出を忍ぶことが、その像の核となっているのでしょうか。いいえ、けっしてそんなことはありません。昭和編の後半では、島に暮らした皆さんが、今何よりも気に掛けているものとして、島に残された墓地のことがテ-マとして取り上げられます。そしてそのお墓の管理の依頼から、まず日露の子供たちの交流、そしてビザ無し交流へと新旧島民間の交流が発展していく経緯が語られていきます。

生きて島を離れ、北海道に新たな人生を根付かせた者は、懐かしく島を思い起こせばよいでしょう。でも、死してその地に葬られた者は、そうはいかないのです。その地で人生のすべての時を刻んだ魂は、その島に根付き、もはやその地を離れるわけにはいきません。そしてここに至って、日本の元島民の皆さんにとっての“北方領土”の意味がはっきりとしてきます。先人たちが、生活のなりわいと文化の礎を築いた地。そして死してなお、その先人たちの霊がそこに息づき、その祖霊に守られて、生活と心を受け継いできた地 - すなわち『故郷(ふるさと)』。故郷とは、そこに自分たちの“いのちの根”がある所です。自分たちのいのちが育まれ、そしてまた自分たちも、次の世代のいのちを育んでいく地。例え故郷を離れても、戻れば再びいのちが癒される地。そして異郷で亡くなったとしても、その魂はそこに戻り、祖霊の一部となって、子孫の安寧を祈る地。北方4島の島民だった皆さんが、例え新たな地で生活の基盤をつくったとしても、自分たちが生まれ育った島々は、自分たちの“いのち根”がある“故郷”なのです。だからこそその地を、けっして捨て去ることは出来ないのです。それが日本人のかつて島に暮らした人々の描く、『北方領土』に対する心象でしょう。

■“故郷”をつくり出し得なかったロシアの島民の心象
さて、このドキュメンタリ-の後半では、一転して今度は、現在その島々に暮らすロシアの皆さんの語りへと移っていきます。そしてその語る内容の、日本人元島民との圧倒的な心象風景の相違に、驚かさてしまいます。ロシアの本土から遠く切り離された北方4島。通信手段も交通の便も悪く、生活も悪化していくばかりの、希望のない現実が語られていきます。通信・交通手段の未整備のために、夫の死に目にも会えなかった船員の妻のエピソ-ドを縦軸に、年金では暮らせず、老いても働かざるを得ない漁師や、島を去りたくても引っ越し費用も賄えない状況などが、次々と吐露されていきます。そのあまりの現実の過酷さに、すでに投げやりになってしまっている人々の、救いようのない姿が映し出されます。ロシアの人たちも、当初は日本人の後を追って、この島々に希望を託して移住してきたはずです。日本人の残した畑や家畜や漁場を受け継ぎ、それなりに暮らし始めたものが、どんどんと悪化していく。色丹島の裁判所で秘書として働いていた女性が、こう語ります。『私たちは島を勝ち取ったのかしら。島の行く末は、ロシア人には手に負えない。いくら大勢で入植しても、結局はうまくいかなかった。人並の暮らしの出来ない、今の島の状態を見るのは辛い。』

もちろん、この映画が製作された1992年~1993年という時期は、ソ連邦が崩壊し、ロシアにとっては最も苦難に満ちた時期でした。その後のプ-チン体制の安定で、生活基盤は大幅に改善されているかもしれません。しかしそれでも、日本人の元島民と、ロシア人の新島民との違いが、この映画の終わりの方で、象徴的に映し出されます。それは“墓”に対する姿勢です。日本人のビザなし渡航団は、かつての墓地を探し、それを整備し、祈りを捧げていきます。何よりもそのことを、渡航の目的としています。なぜならそこが“故郷”だからです。しかしロシアの人たちの墓地は、かつてモミの木の生い茂っていた場所が、今は全くの砂地となって荒廃し、砂の中に墓が埋もれてしまっています。彼らはここに、未だ祖先の眠る地である“故郷”を造り出し得ないでいるのです。

しかしだからといって、島に住むロシアの人たちが、故郷を求めていないわけではありません。朽ちそうになる夫の墓に花を手向け続ける老婆や、結婚して、ここで漁師として根付いていこうとする新郎新婦の姿が紹介されます。彼らはここを、“故郷”としようとしているのです。望みのない生活の中で、投げやりなっている人たちも、もはや他に移りゆくあてはありません。彼らも本当はこの島に、自分たちの“故郷”を作り出したいのです。

■共に故郷をつくり出していくために
北方領土は誰のものか。難しい問いです。しかしこのドキュメンタリ-は、そこにかつて住み、また今住んでいる島民たちの口を衝いて出る心情から、島々は、『そこを“故郷”とする人たちのもの』というメッセ-ジを伝えようとしているのかもしれません。この映画でも紹介されているとおり、もともとはこの地はアイヌの人々が、人の住む地(クリル=千島)、本当の村(色丹)、母なる所(歯舞)とした場所です。そしてそこに日本人が“故郷”をつくり、今ロシアの人たちが暮らします。ただそこに住み、経済的利益だけを享受しようというのであれば、それは国家間の利害関係で調整すれば良いでしょう。しかしここに根付き、骨を埋め、いのちの源を築き、そのいのちを育んで将来の世代に受け渡していこうとする人たちがあるならば、この地を受け継ぐのは、やはりその人たちをおいては無いでしょう。そしてその祈りと覚悟に生きるのでなければ、その地で生業(なりわい)の基盤をつくり、人々のいのちを豊かに養っていくことなど出来るものではないのです。

かつて日本人が住み、今もいのちの故郷とする北方の島々。そして今そこにロシアの人々が住み、ここに自分たちの故郷をつくり出したいと思っている島々。この現実を重く受け止めねばなりません。もはや後戻りは出来ないし、仮に4島が日本に返還されたとしても、そこを故郷と望むロシアの人々がいるのです。この映画の前半で、交流事業により日本を訪れたロシアの子供たちが、島の未来について語る場面があります。『日本人と一緒に住みたい。一緒に勉強して、仲よく幸せに暮らしたい。』子供たちは素直にそう語ります。そしてこの映画のラストでは、荒れた日本人墓地を、日本人とロシア人が一緒になって整備し、倒れた墓石を引き起こす場面が映し出します。新たな地に移り住み、そこに故郷をつくり出すことに長(た)けた日本人と、新たに住んだこの島を、自分たちの故郷にして根づきたいと願うロシアの人々と。このラストは、いのちの励ましの根である“故郷”を、民族を越えて共につくり出していこうとする姿が、暗示されているように思います。

国家という枠組みを越えることは容易ではなく、私たちはまだまだ、そのための叡智を持ち得るものではありません。しかし誰であれ、共にその地を故郷と望む者があるのであれば、その者たちが共に力をあわせて故郷をつくり出し、共にその地で骨を埋めて祖霊となって、将来の世代のいのちと生活を守り続けていく。その営みを支援できるように、どう両方の国家に働きかけていけばよいのか。困難なようで、やはりそれしか道はないように感じさせられます。

『アイランズ/島々』は、日本とロシアの島民の皆さんの視野から、北方領土に抱く人々の願いと心情を描き出した稀有のドキュメンタリ-です。そこから受かび上がってくる、この島に生きる人々の深層の祈りに耳を傾ける時、私たちは、領土問題という地上で最も困難な問題に対処していくための、何らかの示唆と視点を、わずかながらでも得て行くことが出来るのではないでしょうか。