ゴンと高野山体験プロジェクト〜

高野山を体験し、伝統宗教の智慧から学ぶ

taiken

宗教なんて時代遅れ。神や仏を信じたところで、気休めにはなっても、何ら現実的な解決にはならない!
宗教なんて、科学が発達する以前の無知な人々の、世界の成り立ち説明のための、愚かな神話的な知恵にすぎない。
確かにそうでしょう。でも宗教とは、果たしてそれだけのものなのでしょうか?

1.もう1つの知恵(智慧)- 宗教

人間には欲望があります。モノを豊かにするために、自然と宇宙の法則を解き明かして、資源を自由に使いこなしたいという欲望から、人間は科学の知恵と技術を発達させました。
しかし私たちには、もう1つの欲望があります。
苦しみを越えて、平安に幸せに生きたい。自分を生かし、人間性を豊かにしたい。人に役立ち、世間からも認められて、意味と価値ある人生を送りたい。
そうした心の平安と豊かさ、いのちの富を求めたいという欲望も、私たちを根源的に突き動かしていることに間違いはありません。- じつは、そのための知恵(智慧)と技術を磨いてきたのが宗教だと言ったら、ちょっとびっくりでしょうか。 でも、高野山の標語は『いかせいのち』です。
 このコ-ナ-では、科学とは異なるテクノロジ-としての宗教を手掛かりとして、私たちがそれを知り、身につけることで、いかに苦難を越えて柔和に、そして人と人との関わりとしての人生を豊かに展開していくことが出来るか。そのための道筋を、皆さんとご一緒に考えていければと思っています。

2.でも宗教って、怖いものでは? - 私たちの抱くもう1つの宗教のイメ-ジ

 確かにマインドコントロ-ルされたり、宗派間対立で殺し合いをしたり、自分の信じる宗教が1番だと思って、不寛容になったり。- でも科学技術でも、1つ使い方を誤れば、殺戮の道具に使われたり、環境を破壊したりしてしまいます。だから宗教の祈りも、呪いに換わってしまうことがあるのです。
 しかし、じつはそのように過たぬための智慧と技術も、特に長い年月に渡って、人が共にいのちに生きる術を培ってきた伝統宗教の中には、組み込まれているのです。

3.じつは使える伝統宗教

 人生の意味や価値の本質を問う学問としては、哲学や道徳・倫理などもあります。宗教がこれらと異なるのは、単なる論理や教えだけではなく、“技術”をも伴うことです。生きるといくことは、何かにつけて思い通りにならず、悩みや苦しみが生じてくるものです。さらに普段は意識しないようにしている病の辛さや、老いの不安、死の恐怖が追い打ちをかけてきます。
 宗教は単なる理論だけでなく、そうした煩いを越え、科学をも使いこなして、私たちが物心ともに豊かになる智慧と術を、実践的に提供します。その智慧は、私たちがこれまで身につけた知恵とは異なります。知恵には偏りがあり、同じ過ちを繰り返すことがあるからです。宗教は、自我を越えた、真に自分を解放して自由にする智慧を求めます。それ故に、頭だけではなく身体をも用いて実感として体得する術が必要になってきます。そしてその術が、特に伝統宗教の中に、優れて練り鍛えられてきているのです。
 その世界に誇る日本の伝統宗教の智慧とわざも、このコ-ナ-では紹介し、体験の機会も提供していければと思っています。

4.皆さんからの投稿

 このコ-ナ-も、原則として皆さんからの投稿でつくっていきます。それに、僧籍の方や聖職者の方の法話や講話を絡めて、運営していければと思っております。
 以下のような投稿を、自由に、気兼ねなくお寄せ頂くことを、お待ちしております。

(1)今抱えている不安や困難、悩みや苦しみ、そして生きづらさや不満や怒り
(2)自分自身が困難を越えてきた経験、また困難に向かう様々な取り組みの紹介
(3)様々な助言や提案
(4)信仰を持つ人からの、宗教的な知見からの助言
(5)高野山等伝統宗教への疑問・質問や要望  等

苦しみを共有しつつ、皆さんの経験や知恵を寄せ集め、共に慰め、励まし、解決への希望と勇気を育む場が形づくっていければと思っています。